新百姓宣言!

「百姓」ということばが放送禁止用語だというのを、つい最近知った。

木こりもしかり。差別的だという理由でだ。


山村で暮らしていると、その理由を垣間見ることがある。

そんな時代を先人たちはすごしてきた。


けれど、われわれにとってお百姓さんなんてスーパーカッコいい尊敬と憧れでしかない。

ここにマスとのギャップがおもった以上にあるようで。

それは、年代差でもなく、価値観の相違とも違う、

なんだる、なんだろ、

ここの言語化にいつもつまづく。


百姓暮らしというのは、想像通りのたいへんさや不便さはもちろんある。

けれど、やってみておもうのは、それはいたって健全な不幸せであるということだ。

肉体労働で汗をかくこと、

寒い冬で体が凍えること、

スイッチひとつでいかない手間が多いこと、

コントロールし得ない自然と相対すること、

いつだって自分とのたたかいであること。


それは、逆説的にいえば、まっとうな幸せとも言える。

それらを避けて、避けて、向かった先にあったものはなんなのか。

混沌とし、一筋縄ではいかない複雑怪奇な世界のようだとおもうのは、

われわれだけではないはず。


あなたの仕事はなんですか?と聞かれたとき、

わたしたちは百姓です、と答える。

まだまだ、まだまだだけれど、胸を張って子どもたちにもそう伝えている。


それは決して、マスが感じる差別的なそれではなく、

次元を超えた自由でクリエイティブな営み。

ここにこれからの時代をしあわせに生きるヒントがあると

仮設し、実践し、問いを立て続けている。

もやもやしたものをわれわれは勇気をもって突破し、

子どもたちにはそれぞれがもつ輝きそのままに未来を生きていってほしいと願う。


先日購入した「新百姓」という雑誌。


そんなわたしたちの脳内と超絶リンクし、軽やかさもすてきに纏いつつ、

実直かつ骨太に編まれている1冊でした。

わがやにやってきたのは限定NO.514/888。




創刊号はすでに完売のようですが、次号の予約がはじまってます。

テーマは「水をのむ」。

こりゃ読むっきゃない!


にわとり舎、あらためて、

ここに新百姓宣言であります!

にわとり舎

土に根を張り、土とともに生きていく。 阿蘇の里山の水源近くの古民家で、動物たちとともに、 薪をくべ、田畑を耕し、 時々麦を編みながら暮らしています。

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