動物と共に暮らすこと

飼っていた羊が亡くなった。田んぼの畦に繋いでいたんだが、つこけてしまったのか、起き上がれなかったのか、頭が下でよこになって斜面で死んでいた。

ヤギを飼っていた時に斜面から落ちて首吊りになって死んでしまったことがあって、そうならないように大きな特注のハーネスを使っていた。

発見したのが暗くなってからだったので、次の日に改めて現場を見に行った。

今まで特に問題なく過ごしていた場所。亡くなる前日もそこに繋いでいたがお腹いっぱいに草を食べて満足そうに小屋に帰っていた。

ヤギの時は首吊りになっていたので助かりようがなかったが、今回はなにか違っていれば死なずにすんだのかもしれない。

なんでだよ。

そう思わずにはいられない反面、やはり小屋からださずにいればよかったと自分への後悔が頭の中をぐるぐるとしている。

亡くなる当日、田んぼの稲刈りを終え、明日からは田んぼでおもいっきり草が食べられる、ぼんちゃんが大好きな種類の草がたくさんあるなーと思いながら稲刈りをしていたのに。

台風が近づいてきていた。

風が強く、雨もぱらついていたため、家族は家に戻らせ、1人で埋葬する畑に運び、穴を掘った。

明日朝みんなで埋葬するため、ぼんちゃんをシートで包んだ。

おやすみを言う前にぼんちゃんと話しをした。

いつもはもふもふしてあったかいその身体も今は冷たい。

ぼんちゃんごめんね

ぼんちゃんはうちにきて幸せだった?

父ちゃんはぼんちゃんのこと大好きだよ

また会いたいよ

ぼんちゃんごめんね

長生きさせられなくてごめん。

飼っていた動物が寿命をまっとうできなかったとき、この気持ちでいっぱいになる。

我が家にきて11ヶ月。もうすぐ一年のお祝いだった。

月日として長くはないが、一緒に暮らした密度は濃いものだった。

我が家には羊のほかに、犬と鶏がいるが、犬は従順、鶏はマイペース。それに比べると羊は私たちにべったり依存した生活だった。

毎日のご飯は1日でも量が少ないとずっとメーメー鳴き続ける。毎日草を刈り取るか放牧させる必要があり、夕方になると小屋に戻さないといけない。

機嫌が悪いと移動の最中、頭突きをしてくるし、ご機嫌でも女性や子どもでは立っていられないくらい強めに頭を足にこすりつけてくる。

ご機嫌でも不機嫌でも世話の焼ける子だったが、そこがまたかわいくもあった。

仕事や買い物で家をあけるときも、いつもぼんちゃんのことを考えないといけなかった。

亡くなった次の日。ぼんちゃんを畑に埋めた。毎日土間から見えていた羊の小屋に、もういないと思うと寂しさと、虚しさがあった。

なにをやるにしてもやる気が起きなかった。

この気持ちは月日以外は解決してくれないことを、前回のヤギの時で知っていた。

でも、今回は自分の気持ちを書くことで、楽になるんじゃないかと思って、この文を書いている。

ぼくにヤギを譲ってくれた知り合いの百姓がヤギを飼うのをやめた。

以前話した時に、もう歳だし、動物を徐々に手放していこうと思うと言っていたので驚きはしなかった。

動物を亡くすと、悲しみに暮れる日々が続く。

どういうかたちであれ、飼い主としての自分自身の態度への後悔や無念さから、自分を責める気持ちも出てくる。

こうして長生きさせられないなら、動物を飼わないほうがいいんじゃないか。動物がかわいそう。

たくさんのネガティブな感情でいっぱいになる。

それでも、もう飼うのを止めるとは思わなかった。知り合いの話しを聞いたばかりだったので、今後のことを考えてしまったのだけど、多分ぼくも同じように歳をとったら、いつか動物を手放していこうと思うだろう。

ただ、今の気持ちは、なぜこう思うか説明できないのだけれど、まだ動物を飼いたいと思っている。

もちろん、前回のヤギ、今回の件を踏まえて飼い方は改善して、同じシチュエーションを作らないことが前提で。

いなくなって2日経って、あらためて思うことがある。

今、ぼくの暮らしには動物たちが必要だ。

それは畑をやるうえでとか、卵を取るためとかそういったこと、実利益以外の面でだ。

毎朝、ぼんちゃんの体調を確認し、ご飯のお世話がなくなって、それは楽になったというより、ひまだ。

母ちゃんがいて、息子がいて、犬がいて、鶏がいて、羊がいる。

嫁や息子と同じように家族として、一緒に彼らと暮らすことは、ワンワンメーメーコケコケと、朝も早くからにぎやかで、それでいてとっても平和で幸せだった。

いつか空の上でぼんちゃんとまた会えたら、あのあと、田んぼに大好きな草がたくさん生えて最高だったんだよ、なにしてんだよって、抱きしめたいと思う。

ぼんちゃん、いつかいつか絶対また会おうね。

にわとり舎

土に根を張り、土とともに生きていく。 阿蘇の里山の水源近くの古民家で、動物たちとともに、 薪をくべ、田畑を耕し、 時々麦を編みながら暮らしています。

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